わたし アドベントカレンダー 17日目『査読の場としてのスーパー銭湯』
交響曲第5番『運命』みたいなタイトルにしてみた。
某会議の査読論文が割り当てられた。インターネットの噂によるとだいたい6本くらいが当たるようだけれど、今年僕に当たったのは1本だけだった。去年は6本当たっている。この界隈の研究者は年末年始が査読の犠牲になるのが通例なんだけど今年は大丈夫そう。
僕は以下のやり方で査読をしている。
- 印刷して、頭から丁寧に読み、長所短所や疑問点などを書き込む。
- もう一度頭から読む。読みながら書き込みが正しいことを確認し PC で文字に起こしていく。ここは日本語でやる方が効率がよい。
- 書き上がったポイントを眺めて、結局全体としてどう思うかをまとめる。また、第三者が見てわかりやすいように文章を推敲する。
- 英語に翻訳して提出。
これは人や分野によっていろいろなやり方があると思う。自分に関していえば、去年のこの会議で outstanding reviewer に選ばれたこともあってアウトプットはそんなに悪くないだろうと思っている。(ただこの outstanding reviewer というやつは去年だけ異常に基準が緩くて5人に1人くらい選ばれていたのでそれほど自慢できるようなものではない。)
(1) では印刷した論文とボールペンしかほとんど必要にならない。複雑な計算は出てこないので検算のためのノートなどは要らない。他の文献の確認が必要になることもあるが、基本的にはよく知っているトピックのものしか割り当てられないので必要な時間は僅かである。つまり、このプロセスは作業場所をあまり選ばない。
というわけで今回は新宿にあるスーパー銭湯「テルマー湯」で行った。
テルマー湯は正確にはスーパー銭湯ではなく、それより格の高い「天然温泉」である。新宿で温泉が湧くってことないでしょうと思うんだけど、これはどういうことかというと伊豆の温泉からお湯を運んできているらしい。
感染症のこともあって混雑は避けたいので有給を取って平日の昼間に行った。公式ページから飛べるクーポンを使うと約2000円で最大12時間楽しめる。これは銭湯だと思うと高いがコワーキングスペースと思うと格安であり、喫茶店、ネットカフェ、映画、カラオケなどと比べても時間単価はかなり低い。僕は今回6時間滞在していてこれは1時間あたり333円、だいたいスターバックスのドリップコーヒーのショート (319円) と同じくらいである。
狙い通り、というか狙い以上にかなり空いていた。地下2階にある休憩スペースには100台以上の電動リクライニングチェアが並んでいるが、そのうち1~2割くらいしか使われておらず、ソーシャルディスタンスをきちんと守ることができる。またそこは大変静かなエリアで、半数は寝ていてもう半数は一人でスマホや本などを楽しんでいて話し声がうるさいということもない。WiFi は飛んでいて電源も提供されている。これは査読に最適な環境である。というわけで1本読むくらいならさっくり済んでしまった。この環境なら PC 作業もできると思うんだけど誰もやっていなかったから叱られるのかもしれない。食事エリアでは PC を触っている人を見かけた。
飲み物は自販機がある。ペットボトル1本200円程度のやや高いが許せるくらいの価格設定になっている。食事についてはレストランがある。ガパオライス1000円チキン南蛮定食1500円天ぷら定食1600円、これもペットボトル200円にちょうど対応するくらいの設定だと思う。ガパオライス1000円は世間の相場と比べてもそう高くなくてお得な気はするんだけど、近所の新宿三丁目に格安タイ料理ランチを出す店がたくさんあるので立地を踏まえると妥当な価格であろう。
風呂に関してはあまりこだわりがなくコメントがない。寝湯で空が見えるんだけど、空をカラスが飛び交っていてここは確かに新宿なのだと現実を意識させられるという難点がある。
全体として、PC にはあまり向かないが論文や本を読むのにはかなり適した場所だということがわかった。すごく空いているのが良い反面、これが持続可能な経営なのかは気になってしまう。次の査読でも活用しようと思う。
いや外でできる作業って (1) まででしかなくて、それ以降もけっこう時間がかかるんだけどね。
余った(?)時間でチェーホフの「三人姉妹」を読んだんだけどけっこう良かった。乃木坂のメンバーによる舞台化の情報が帯に載っていて、調べたら Amazon prime video で1600円払えば映像を見られるらしいんだけど、評判がすごくいいわけでもなく乃木坂のファンでもなくと思うとちょっと高いね。
わたし アドベントカレンダー 14日目
お腹の調子が悪いんだけど、これは急に気温が下がったからなのか、傷んだイチゴを食べたからなのか、ちゃんと焼けているのかあやしいステーキを食べたからなのか、アイスクリームを食べたからなのか、それともプロテインと牛乳を一気飲みしたからなのかわからない。
わたし アドベントカレンダー 13日目
ブログの更新の通知を Twitter に流さなくても何人かには読んでいただけるしいくつかスターもいただけたりする、これは本当にありがたいことですね。
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を読んだ。映画「ドライブ・マイ・カー」は村上春樹の短編3つを「ワーニャ伯父さん」を軸にして重ね合わせたものでこれはかなり良かった。それで原作を読もうと思ったわけです。映画を見た直後に注文して、実際に開くまでには何ヶ月もかかってしまったけどね。
映画ではシーンが断片化されていた上に順番もばらばらだったから全体像が全然わかっていなかったんだけど、この作品、精神限界人間大集合って感じですごいですね。
- セレブリャコフ: 昔は偉かったのに今は老後の資金も足りてなくてつらい
- ワーニャ: ワーキングプア生活を続けること数十年、気付いてみれば手元になにも残っていなくてつらい
- アーストロフ: ブラック労働に価値を見出だせていなくてつらい
- エレーナ: いろいろ複雑な事情でつらい
- ソーニャ: いろいろ複雑な事情でつらい
- ほか: つらいのにも慣れきってしまった
男性はただつらそうにするだけな一方で女性はその中でも前向きさを保ち続ける傾向がある気もしたけど単に思い込みかもしれない。
人生はつらい(こともある)、それでもなんとかやっていきましょうね。
そのラストシーンを題材にしたラフマニノフの歌曲があるらしくて聴いてみたんだけどそれは全然よくなかった。まあ、良かったら有名になるはずなんだよね。
そういえばバッハの鍵盤音楽を全然知らない、たとえばイギリス組曲ってやつですら知らないなと思ってピアノで良さそうな録音を探していた。アンドラーシュ・シフのものが定番らしい。定番らしくて HMV にはレビューが25件も書かれているんだけどそのうち半数くらいにグールドが登場する。みんなグールド好きすぎるでしょ… それで結局、そういえばペライアがたくさん弾いているなと思ってペライアのものを聴くことにしました。
Szeliski のコンピュータビジョンの教科書をちまちま読んでいます。やっぱり基礎をきちんと押さえておくのは大事だし、もうすぐ改訂版が出るしね。
わたし アドベントカレンダー 10日目
わたし アドベントカレンダーは、わたしがわたしのことをより良く理解するためのカレンダーです。この記事は12月10日に書かれ、12月15日に公開されました。6~9日目はサボってしまいました。
何のきっかけもなく思いついたという認識でも、あとから振り返ってみれば明確に最近のインプットに影響されていることってあるよね。
"All You Need Is Love" というタイトルの論文、シンギュラリティが起きてエーアイが圧倒的に進化してついに人類はエーアイの愛玩動物としての価値くらいしかないと結論付けられるときにエーアイが発表するレポートとして登場してきてほしい
— ぱろすけ (@parosky0) 2021年12月1日
たとえばこのツイートはエーアイが論文を発表することについて扱っている。なぜそのようなトピックに至ったかといえばこれはその3日くらい前に読んだテッド・チャンの「人類科学の進化」が明確に影響している。けれど、このツイートを書いて投稿した時点ではその小説のことなんて全然意識してなかったんだよね。
こういう風に、情報の入力は無意識のうちに考えること話すことに影響する。何がどう影響するかを完璧に分析することはできない。逆に、与える影響をコントロールするのも難しい。
たとえば自己啓発本は考え方や行動に影響を与えるために読まれる。ときどき特に重要な部分のメモを取っておいて強く影響させようとする。けれど、それで実際に自分が変わるかといえば、なかなかうまくはいかないよね。
逆に、何かを影響させないのも難しい。子供を有害なコンテンツ(とは?)に近付けさせないのはこれだよね。大人は… たとえば僕は何かを避けている? あまり意識していないだけで、たぶんいろいろなものを避けてるんだろうな。
いずれにせよ、きちんとコントロールできないところにおもしろさがあると思う。ある入力からはある出力が得られる、その関係が想像の範囲内に収まってしまうもの(たとえば電卓)はおもしろく感じにくい。一方で、関係がありそうだけどそれが何なのか完全には掴みきれないもの(たとえばサルの餌が出たり出なかったりするボタン)には惹かれることになる。いろいろな人と話したり本を読んだりすることによって自分から何が出てくるのかわからない。そういうところへの興味が最近やや強くなってきている。『ブルータス』の定期購読を始めたのはそれ。
ところで先程のツイートはかなり狭いコンテキストに基づいていて、なかなか理解されないはず。まず "attention is all you need" という論文がエーアイ界隈で大ヒットしていて誰でもタイトルくらいは知っているような存在となっていること。それに影響された "all you need is ナントカ" とか "ナントカ is not all you need" みたいなタイトルの論文が続々発表されていること。そのようなタイトルの付け方はクレームの範囲が広すぎるなど学術的に問題があり多くの批判があること。目立てば勝ちみたいな雰囲気に嫌気が指してきていること。このあたりについては以下の論文が最先端である。
そのような中でビートルズを踏まえた決定打的存在 "all you need is love" はどう現れるべきかについて人々の関心が集まっている(はず)。その上での先程のツイートというわけです。
こういうことばかり投稿しているから最近はフォロワーが減るばかりなんですね。でもそれはもうどうしようもないですから。
わたし アドベントカレンダー 5日目
わたし アドベントカレンダーは、わたしがわたしのことをより良く理解するためのカレンダーです。この記事は12月5日に書かれ、12月14日に公開されました。
NHK交響楽団の公演@東京芸術劇場(池袋)に行った。
池袋まで数駅のところに10年くらい住んでいた(ただし家は4回くらい変わった)から池袋にはけっこう馴染んでいたつもりだけど、数年離れただけで方向感覚がやや落ちていた。駅のどの階段を上がると地上のどの当たりに出るかという地図が不正確になっている。
西口の広場は改装以来初めて。かなり大きく変わっているのかなと思っていたけれどそうでもなく、なんか黒いモノが増えたなという程度の印象だった。それでもステージは格好良い感じになっていてイベントに人も集まっていたし、カフェのオープン席は寒い夕方でもほぼすべて埋まっていたし、改装はけっこう成功している感じではあった。かつてのようにポケモントレーナーがただ溜まっているだけではない。
天井が高い部屋が好きなんだけど、東京芸術劇場は都内でも有数の天井の高さなんじゃなかろうか。地下階からホールのロビー(6階くらい?)まで吹き抜けている。国立新美術館も似た感じだよね。
曲目は以下の通り。
- ブラームス: ハイドンの主題による変奏曲
- バルトーク: ピアノ協奏曲第3番
- シェーンベルク: 浄夜
ブラームスとシェーンベルクはけっこう好きな曲。バルトークは元々シュトラウスの「4つの最後の歌」の予定だったらしく、それだと全部好きな曲で揃うところで惜しかった。
バルトークのこの手の曲には本当に理解がなくて、何度聴いても全然良さがわからない。CDで聴くからいけないのかと思ったけど実演でもやはりだめだった。妻は気に入っていて、民族的でポップで良かったとのこと。あとピアニストがよかった。ピアニストは確かに、95年生まれの若い方で、くっきりはっきりしていて好みの感じではあった。
浄夜は六重奏版は生で聴いたことがあったけれど弦楽合奏版は初めて。これは絵が上手かった頃のピカソのような曲なんだけど、僕が絵が下手になってからの曲の良さが全然わからないからずっと上手いままがよかったなという気持ちになる。とはいえ革新的な作品群がないと作曲家として有名にはならなかったんだろうね。そういえば2chの「もし大作曲家がシューベルトと同じ年で亡くなっていたら」というスレッドに「シェーンベルク: 後期ロマン派風の作風で知られる。31歳で死去」みたいな書き込みがあって、それはもう全然違う人だよなと思った記憶がある。
演奏はけっこう良かった… けど、この曲って雑にまとめてしまうと暗い、明るい、終わり! みたいなめちゃめちゃ単純な構成になっているね。綺麗だけど深みに欠ける(深みは元の詩の方にある)というのもわからなくはない。
わたし アドベントカレンダー 4日目
わたし アドベントカレンダーは、わたしがわたしのことをより良く理解するためのカレンダーです。この記事は12月4日に書かれ、12月10日に公開されました。
ラフマニノフの交響曲第2番は全クラシック音楽の中でも特にロマンティックでエモーショナルな作品で、僕もけっこう好んで聴いている。
僕が知る範囲でのベストな録音はエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、ロシア国立交響楽団の演奏によるものである。とにかく気合いが入っていて、切なさもあり迫力もある。全体的に遅めで、いわゆるスケールが大きい演奏というやつだと思う。
ところがこの演奏は Naxos Music Library には入っているけれど Spotify には入っていない。同じレーベルの交響曲第1番は入っているのでやや不思議である。別のレーベルでスヴェトラーノフとフィルハーモニア管弦楽団のものは入っていたのだけど最近になって配信が停止されてしまった。
そこで世間で評判がよい演奏をということで第3楽章に限ってプレヴィン&ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のものとヤンソンス&サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のものを聴いてみたんだけど、あまりしっくり来ない。プレヴィンはスローでよくコントロールされていて響きが綺麗だけど、だからといってぐっとくる感じが強いわけではない。ヤンソンスは速めで健康的で、まあヤンソンスならそうなりますよね、他の楽章ならそれが合うと思うけど第3楽章に僕が求めるものではない。
気付いたんですが、要するにここに僕が求めているものは情緒不安定さなんですね。よくコントロールされた精緻なアンサンブルで最高の響きを提供されても、感情が極まっている感じはしないですよね。その点でスヴェトラーノフはややゴツゴツしてはいるけれど動きの振れ幅が大きくて生身の人間という感じがする。
そういう意味でこの曲は学生オケと相性がいいんですね。今日は一橋大学のオーケストラの公演で演奏されたそうですね。
ところでじゃあ似た系統でピアノ協奏曲第2番はどうなんだということになると、まったく正反対で快速&すっきりさっぱりなアール・ワイルド&ヤッシャ・ホーレンシュタインのものが一番気に入っていて、好みというのはよくわからないものです。
わたし アドベントカレンダー 3日目
わたし アドベントカレンダーは、わたしがわたしのことをより良く理解するためのカレンダーです。この記事は12月3日に書かれ、12月8日に公開されました。
先月までは近所の公園で深夜にランニングしていたが、最近はさすがに寒すぎるのでフィットネスジムに入会した。マシンだけ置いてあって24時間空いてるやつ。早速行ってみたんだけどやっぱり室内だと風情がないね。走り続けているつもりでも実のところ同じ場所にずっと留まり続けているだけ。人生みたいだね。
駅前に国境なき医師団のスタッフが立っていた。寄付のお願いだろうか、でもそんなことやって人件費以上に寄付金が集まるとは思えないから純粋な広報活動だろうか、と思って近づいてみたらやはり寄付のお願いだった。単発ではなく毎月一定額を継続的にということらしい。なるほどたしかにそれならよさそうだね。
母が赤十字の病院に入院していたときに東南アジアのどこかで大きめの災害があった。翌日に病院に行くと、これから東南アジアに派遣されるスタッフの壮行会を行うという業務放送が流れていた。そうかここで働いているのは危険な地域にいきなり派遣される覚悟がある人たちなんだ、それってすごく立派なことだと思った記憶がある。
国境なき医師団は赤十字とはまた違った組織だとは思うけど、でも世界によい医療を届けようという気持ちは同じだろう。福祉活動のためにリスクを取るのは僕にはとてもできないことだ。そういう意味で、金銭的な援助くらいはしたい気持ちはある。
でも毎月一定額をって言われると迷っちゃうよね。寄付の例がいくつか載っていて、月2000円が一番低かったんだけど、それって Netflix やら Spotify やらの毎月支払っているサービスと比べてしまって高いなという印象がある。別にこれが最低額ってわけじゃないらしいから、もう少しささやかなところから始めてみようかな。
(12月8日追記)国境なき医師団のサブスクに入りました。月500円です。小さい金額ではあるけどやらないよりはマシ。これでも1億人くらいがやれば年6000億円で、それは現在の総寄付額(約100億円ちょっとくらいだったと思う)よりもかなり多くなるんですね。